テクノロジーが進むたびに、「何が価値として流通するか」は入れ替わってきた。 印刷は知を複製し、放送は注意を集め、Webは発見を加速し、SNSは信頼を媒介にした。 そして生成AIは、これまで個人の頭の中に閉じていた“考えるプロセス”を、外に取り出して配れる状態にした。 ここで言う「流通」は、他人が持ち運べて、再利用できて、別の文脈に接続できることを指す。 結論だけでなく、問いの立て方、比較の仕方、仮説の分岐、判断材料の並べ方——そういう中間生成物が、いよいよ市場に出てきた。 その結果、価値の中心は「完成品」から「思考の質(と、それを扱う設計)」へ寄っていく。
価値の形の変遷
価値はざっくり言うと、次の2つで決まりやすい。
- 希少性:手に入れにくい、再現しにくい
- 交換のしやすさ:運べる・複製できる・見つけられる・比較できる
テクノロジーは、この両方を継続的に動かしてきた。 複製が安くなれば、複製されるもの自体は希少ではなくなる。そのとき希少になるのは、別の何かだ。
たとえば情報の複製コストが下がると、情報そのものよりも「どれを信じるか」「どれに時間を使うか」が希少になる。 さらに生成AIが“考える手順”まで出力するようになると、希少なのは次のようなものになる。
- 良い問い(何を解くべきかの切り出し)
- 妥当な仮説(どの前提で、どこまで言えるか)
- 判断のセンス(リスクとリターンの見積もり、捨てる勇気)
価値は「結論」から、「結論に至るまでの思考の質」へ移っていく。
価値として流通してきたこと
テクノロジーは、価値の“運び方”を変える装置でもある。整理するとこんな対応になる。
- 印刷(紙・出版) → 情報(複製可能な知)
- 放送(ラジオ・TV) → 注意(同時性による集中)
- インターネット(Web・検索) → 発見性(アクセスと探索)
- SNS(タイムライン・アルゴリズム) → 信頼/関係性(人を介した推薦)
- スマホ(常時接続) → 即時性(「今ここ」への接続)
- 生成AI → 思考(推論・文脈・判断の候補)
後ろに行くほど、「完成品」よりも「プロセス」に価値が寄っているのが分かる。 なぜなら、複製や配信が簡単になるほど、完成品は平均化しやすくなるからだ。
AIが生み出すものは“思考”
生成AIが生み出すのは、知識というより“思考の途中経過”に近い。
- 問いの立て方(何を比較するか、何を前提に置くか)
- 比較の軸(評価項目の整理)
- 仮説の分岐(Aならこう、Bならこう)
- 判断候補の列挙(選択肢とトレードオフ)
重要なのは、これを「答え」として受け取るより、「部品」として扱える点だ。 誰かの推論を起点に、別の人が続きを書ける。別の条件を足して作り直せる。 接続と編集ができるとき、思考は“流通可能な資産”になる。
一方で、思考は文脈が欠けるとすぐ壊れる。
- 目的が違う
- 前提が違う
- 判断基準が違う
だからこそ、思考だけを単体で回すのではなく、「この思考が成立している条件」もセットで流通させる必要がある。
転換点:AIがもたらした質的変化
AIは単なる検索や要約ではなく、次のような“思考の動き”を、即時に、何度でも生成する。
- 推論(筋道を作る)
- 仮説生成(可能性を枝分かれさせる)
- 視点の切り替え(別の評価軸を持ち込む)
これは「情報の自動化」というより、思考の量産化に近い。 ここで言う「思考」は、人間の内面そのものではない。 問いの立て方、比較、仮説の分岐、判断候補の並べ方といった中間生成物を指している。 正しさや主体性はさておき、外に出て、再利用できる形になったことが大きい。
流通単位の変化
流れはこう変わる。
- Before:情報 → 人が考える → 意思決定
- After:思考(候補が大量に出る) → 人が選ぶ → 意思決定
考えるコストがゼロに近づくほど、相対的に重くなるのは次の2つだ。
- 選ぶこと(どれを採用するか)
- 責任を持つこと(その選択の結果を引き受けること)
流通速度と量の非対称性
AI以後の特徴は、だいたいここに集約される。
- 流通速度:ほぼ即時
- 流通量:理論上無限
- 品質:平均化・最適化されやすい(それっぽい答えが増える)
結果として起きやすいことはこうだ。
- 「よく考えられた平均解」が溢れる
- 独自性は結論より出発点(問い・前提・目的)に宿る
- 価値は「生成」から「編集・検証・選別」へ寄る
思考が流通する条件
思考を資産として扱うには、最低限のインフラがいる。少なくとも次が揃っていないと、ノイズとして消費される。
- 出所が分かること:誰の思考か/どこから来たか
- 条件が分かること:目的・前提・制約・判断基準
- 検証できること:根拠にアクセスできる/再現できる
- 再利用できること:自分の文脈に合わせて編集可能
この条件に最も近い形で流通してきたのが、プログラム(コード)だと思う。 コードは前提や手順を固定し、入力と出力の関係を他人にも再現可能にする。 ウェブアプリはそれを公開し、誰でも同じ条件で試せる場を作る。 OSSはさらに、改変できる形で積み重ねられるようにして、思考の流通速度を跳ね上げた。
この条件が満たされるほど、思考は「気の利いた文章」ではなく、再配布できる価値になる。
人間が握る価値のパラメータ
思考が流通する時代に、人間側に残る価値は何か。自分は主にここだと思う。
- 問いの設定:何を解くべきかを定義する
- 採用の決断:どの思考に賭けるかを選ぶ(=責任を取る)
- 文脈・経験:前提を見抜く/違和感に気づく/外れたときの損失を見積もる
AIは思考を大量に生成できる。 でも、どれを採用し、どう運用し、結果を引き受けるかは人間に残る。 だから価値は、「思考を作ること」よりも、思考の流通を設計し、質を保証し、文脈を接続できる人に集まっていく。
補足
「注意」という言葉について
ここで言う注意は心理用語というより、誰の時間と視線がどこに集まるかという意味で使っている。 マスメディアは同時性によって関心を一点に集め、その集合的関心が広告や影響力として価値化された。 「集合的関心」「同時体験」と言い換えてもほぼ同義。
プラットフォームビジネスについて
Web以降、プラットフォームが強くなったのは、接続コストが下がり、ネットワーク効果とデータ最適化が極端に効くようになったから。 「場とルールを用意して取引や交流を促す」構造自体は昔からあるが、Webはそれを桁違いにスケールさせた。
OSS的な流通の派生
OSSの作法(issue化、共有、フォーク、改善)をなぞる形で、アイディアや事業構想を“再編集できる部品”として扱う動きも出てきた。 思考が流通単位になると、このOSS的な流通は自然に派生しやすい。